引用

宗教をどう定義するか

宗教とは、一体、何なのだろう。そしてもっと大切なことだが、それを決めているのは誰なのだろうか。宗教がヨーロッパ、ひろくいえばキリスト教のつよい影響下にある歴史的産物であるとすれば、このカテゴリーの有効性はどの程度あるのだろうか。このような…

未成熟な学としての

かつて学生の頃、私は生物学のことを「物理学や化学みたいな演繹科学に比べて100年以上も遅れた”枚挙の科学”ではないか」と皮肉ったことがあります。 枚挙の科学とは、いろいろな例を挙げつつ、それらの関係性からなんらかの法則を発見するもので、この方法…

定跡外れ

序盤定跡は特に大きい。ゲームは定跡から外れる前に終わることもあるのだが、そもそもゲームは定跡から外れるまでははじまりもしない。これを人生に置き換えてみよう。生きている間に定跡から外れない人間もいる。だがそもそも、定跡から外れなければ生きて…

ホームズのコカイン使用

ときおりコカインをやるものの、ほかにはこれという悪習もなく、そのコカインにしても、依頼される事件がすくなく、新聞にも興味ある事件が見あたらないようなとき、日常の退屈をまぎらわすために用いるだけなのだ。 アーサー・コナン・ドイル「黄色い顔」『…

二項対立と人間

私たちの頭脳は、連続性を扱うことが不得手なのだ。異なる次元でいくつもの変数が相互に作用するときはなおさら苦手になる。単純な二分方に走りたがるのも、そうすれば難しいことを考えなくてすむからだ。日常生活をうまく乗りきる経験則がたくさん身につい…

学問と(心理的)厳密性

ここで、こうした新しいヨーロッパというものが、多くの誤謬から形成されたことを注意しておこう。十九世紀以降の専門体制下の科学者は、「真実」を語ることを強制されている。十七世紀の数学者たちは、むしろ多くの誤りを述べていた。 おそらく創造のために…

小島道裕『信長とは何か』(講談社選書メチエ356、2006年)

明治以降の日本の軍部は、数において劣る信長が勝った桶狭間の合戦を、小国日本が列強と対決する際の都合のよい史実として重視した。そして「迂回・奇襲」という、事実ではない創作された作戦と「勝因」を教訓として活用し、同様の作戦を安易に立案し、かえ…

井野瀬久美恵『大英帝国という経験』(講談社、興亡の世界史16、2007年)

それゆえに、アメリカ喪失の経験は、帝国という空間統治についていくつかの教訓を残すことになった。第一に、「イギリス人」としての共感を植民地に求めないこと。第二に、ウェストミンスタ議会を核とする枠組みに植民地を組み込むことは賢明ではないという…

羽田正『東インド会社とアジアの海』(興亡の世界史15、講談社、2007年)

ポルトガル人のインド洋への進出の理由として真っ先にあげられるのが、胡椒や香辛料の獲得である。ヨーロッパの人々は、食肉の保存と保存の悪い食肉の味付けのために胡椒や香辛料を必要としていたというのである。しかし、最近翻訳の出た『食の歴史』の編者…

W.A.ピアズリー『新約聖書と文学批評』(ヨルダン社、1983年[原著は1970年])

イエスに関する史的知識を支える堅固な基盤の追求は、共観福音書――マタイ、マルコ、ルカ各福音書――相互の文学的関係(literary interrelationship)の研究をもたらした。それらは、十九世紀に理解されたところによれば、史的記録として最も見込みのありそう…

G・タイセン著、大貫隆訳『新約聖書:歴史・文学・宗教』(教文館、2003年、原著は2002年)

そこでわれわれは、史的イエスを再構築するに当たり、二つの基準に従う。 (1)まず、影響の妥当性の規準に照らすと、他の要因によって説明するよりも、史的イエスからの影響として説明する方がうまくゆくものが真正である。この規準に従うと、とりわけ互い…

ヒューム『市民の国について(上)』(岩波文庫・青619-5、1952年)

現在を非難し、過去を讃歎する気質は、人間性の中にしっかりと根を下ろしており、そのため、最も透徹した判断力と最も該博な学識とをもったひとびとにさえ、影響を及ぼすものなのです。 (「古代人口論」p.125) 古代の人口が後の時代の人口に比べて過度に大…

野家啓一『物語の哲学』(岩波現代文庫・学術139、2005)

「物語」と「歴史」に関していろいろ示唆に富む本なのだが。 ノートの上に一本の線分を水平に描いてみよう。それを時間軸と見なすことは、物理学の初歩を学んだわれわれにとっては、きわめて自然な発想である。話を歴史的時間に限るならば、線分上の各点にさ…

スティーブン・ピンカー『言語を生み出す本能(上)』(NHKブックス740、1995)

ずっと前から読もうと思っていてなかなか読んでいなかったもの。人間の使う言語について比較的体系的に書かれている。かなり自分が思い込んでいた「常識」を覆すような話があって面白い(典型的なところでは「言語が思考を規定する説は誤り」「話し言葉の音…

ゲルト・アルホルフ著、柳井尚子訳『中世人と権力--「国家なき時代」のルールと駆け引き』(八坂書房、2004年)

中世ヨーロッパの支配層の中でどのような形で問題解決が行われていたかを実例をふんだんに見ながら紹介/分析した本。原著は1998年。 プロローグより。 中世における支配権の特徴を理解することは、近・現代の支配形態との違いを意識することでもある。この…

マックス・ウェーバー著、尾高邦雄訳『職業としての学問』(岩波文庫白209-5、1936初版、1980改訂)

とりあえず薄くてすぐ読めそうだったので購入、読了。 最初に当時の研究者、特に若手研究者の状況が書いてあるのだが、現代日本とそれほど変わらない悲しい状態だったようだ。 学問に対する姿勢に関する記述には反駁する点がほとんどない。きわめて近代的な…

群衆と記憶

(前略) 論理学の説くところによると、多数の証人の一致した意見ということが、ある事実の正確さについての最も有力な証拠の部類に入れられている。しかし、群衆の心理についてわれわれの知っているところからすれば、論理学の解説が、この点に関してどんな…

ホッブズと信念

ホッブズは、意識と良心とをともに意味する<conscience>を<opinion>と同一視したが、これは後に大きな影響を与えた媒介項をなすものである。ホッブズは周知のように宗教的内乱の経験を手引きとして『リヴァイアサン』(1651年)の中で、君主の「権威」(…

手紙とか書簡とか

小家族的親密さの圏内では、私人たちは彼らの経済活動という私生活圏からも独立なものとして自己を理解する−それはまさに、相互に「純粋に人間的な」関係に入りうる人間たちとしての自己理解である。その関係の文学形式は、当時においては手紙の交換であった…

これだからムゥタズィリーは侮れない

Maqdisi defines knowledge('ilm) as "the belief that a thing as it is"(i'tiqaad al-shay' 'alaa maa huwa bihi). (Tarif Khalidi, "Mutazilite Historiography: Maqdisi's Kitab Bad wal-tarikh", Journal of Near Eastern Studies 35-1, 1976, p. 5.) …

「宗教は民衆の阿片である」?

「引用」のカテゴリを作ってみます。どれくらい機能するかわかりませんが。 とりあえず今読んでいるレジス・ドブレ『メディオロジー宣言』(ISBN:475710023X)から。 「宗教は民衆の阿片である」といった類のスローガンは、まず阿片中毒者、次に兵としての修…

ポランニーの言葉

カール・ポランニー『人間の経済1』(ISBN:4000271369)を再読しています。確か前読んだのか卒論の頃でかなり流して読んだので、ほとんど初読のような感覚です。 学者のなすべき努力は、まず第一に、われわれのもっている概念を明瞭で精確なものにし、それ…