未成熟な学としての
かつて学生の頃、私は生物学のことを「物理学や化学みたいな演繹科学に比べて100年以上も遅れた”枚挙の科学”ではないか」と皮肉ったことがあります。
枚挙の科学とは、いろいろな例を挙げつつ、それらの関係性からなんらかの法則を発見するもので、この方法を「帰納法」といいます。これに対し、枚挙せずとも根本的な原理や法則から答えを導くことを「演繹法」といいます。学生時代の私は、物理学が演繹法の頂点に立っていて、生物学はいまだ帰納法以前の枚挙レベルだと思っていたのです。まさに若気の至りでした。
(中略)
私もプロの世界に入ってみて、あの高貴な物理学にもかつては枚挙の時代があったし、いまでも分野によってはまだ枚挙レベルであることを知りました。そして、生物学もいずれは演繹科学になるだろうけれど、いまはその土台となる「枚挙の生物学」をきちんと築かなくてはならないとも思うようになりました。現在のそうした私の心境は、私のメタバイオロジーのバイブルである大野克嗣著『非線形な世界』(東京大学出版会)に代弁してもらいましょう。分子生物学や生物物理のような研究に力を割かず、まず生物多様性と生態系の記載に、つまり古典生物学(博物学)に全力を挙げるのが、ほんとうは、将来の生物学への現在可能な最大の寄与であるかもしれない。(p257)
そう、私は間違っていました。「生命とは何か」を知るためにすべきことは、メタバイオロジーよりもむしろ、古典生物学(博物学)すなわち「枚挙の生物学」だったのです。
(長沼毅『死なないやつら:極限から考える「生命とは何か」』講談社ブルーバックスB1844、2013年、「おわりに」より)
歴史学についても状況はあまり変わらないと思う。
演繹科学を今指向して研究することが無意味だとは思わないけれど、長い目で見て「役に立つ」のはおそらく基礎的なデータ作りだろう。現時点で面白い研究をするとともに、そういったことも、できればやってゆきたいなと思う。