宗教をどう定義するか

宗教とは、一体、何なのだろう。そしてもっと大切なことだが、それを決めているのは誰なのだろうか。宗教がヨーロッパ、ひろくいえばキリスト教のつよい影響下にある歴史的産物であるとすれば、このカテゴリーの有効性はどの程度あるのだろうか。このような定義を規範的に決定するときに、宗教研究者はいかなる役割を果たしているものなのか。また、宗教とは社会・政治的に自律したもの、すなわち他の要素に還元できない固有のものなのか、それとも歴史における人間の行為の一側面をさす学問的で分類学的なカテゴリーにすぎないのか、という議論が長期にわたってなされているが、そこで問題になっているのは何なのだろう。
ラッセル・マッカチオン「「宗教」カテゴリーをめぐる近年の議論:その批判的俯瞰」『宗教概念の彼方へ』(磯前順一ら編、法蔵館、2003)、pp. 45-46.)

アミーン・ギアツは分析的定義の利点を論じた論文「樹木崇拝と定義について:口承伝統の研究視点から」の冒頭で、「宗教の定義の問題は、宗教研究における方法と理論的範囲の問題に他ならない」と、うまく論点を要約している。
(同上、p. 76.)

最近イスラームにおける「政教問題」について考える機会があり、宗教学の方からいろいろ教えてもらっていろいろ読んでみている。自分の論文で「宗教」という言葉を使うことにはややためらいがあるものの、やはり使ってしまう部分はある。イスラーム史研究の立場からの「宗教」理解というものを考えていくことだけでも大変だが、それと「政治」の関係を考えるのはさらに難しい。
まあとりあえずは、一応の対応概念であるディーンとスィヤーサの意味範囲を考えることから始めるしかないだろう。