「宗教は民衆の阿片である」?

「引用」のカテゴリを作ってみます。どれくらい機能するかわかりませんが。
とりあえず今読んでいるレジス・ドブレ『メディオロジー宣言』(ISBN:475710023X)から。

「宗教は民衆の阿片である」といった類のスローガンは、まず阿片中毒者、次に兵としての修道士についての、二つの無理解を遺憾ながら露わにしてしまっているのではないだろうか。マルクスがもう少し旅を経験していれば、阿片に走る者が武器を下ろし横たわることを、すなわち全体的な精力が失われていることを知っていたことだろう。逆に、全身全霊を神に捧げる者は、他の者にもその利益を分け与えようと躍起になる。特徴的で、性格的ですらある活動亢進状態に置かれているのだ。一般に、宗教的な信仰は強壮剤であり、催眠性の芥子、鎮痛薬なのである。かつてのテンプル騎士団や、現代のヒズボラ、あるいはイスラム教徒たちは、中国の阿片窟に見られるようなやせ細り夢想する人々とは似ても似つかない。
レジス・ドブレ『メディオロジー宣言』NTT出版、1999年、p.114)

最初に断っておきますが、現在のレバノン情勢に対する含意はまったくありません。ヒズボラが出てきているのはたまたまです。念のため。
話は単純で、僕は一般にマルクスの言葉とされている「宗教は民衆の阿片である」という言葉を結構気に入っていて、「まあそうだよなあ」と思っていたのですが、確かに上記のように言われてみるとその通りで、一歩つっこんでみると実は比喩として上手く成立していないことに気付かされたという体験が新鮮だったということです。
比喩は直感的に物事を把握するために便利な形式ですが、正確さを捨ててしまっている場合もままあることをどこかで憶えておかないと危険かなと再認識した次第です。まあだからといって「宗教は民衆の阿片である」という言葉の力、あるいは価値がなくなってしまうわけではないんですが。