劉傑、楊大慶、三谷博(編)『国境を越える歴史認識−−日中対話の試み』東京大学出版社、2006(ISBN:4130230530)に関するコメントについての若干の補足

2006/07/20に書かれたsean97さんの日記で紹介されていた本です。sean97さんの評を読むかぎり、非常に面白そうな内容で、是非とも読んでみたいと思いました。ただ、sean97さんの引用している部分でよくわからない(腑に落ちない)部分があったので、当該の日付にコメントをつけました(正直に告白すると著者がそのコメントを目にする可能性があるなどということは露ほども考えていませんでした)。その後、sean97さんは2006/07/24の記事でもそれに触れていますが、それに関するコメントも07/20の記事の方に付けました。
その時の僕の結論は「読まなきゃわからないから取り寄せて読もう」だったのですが、今日sean97さんの日記で驚愕の事実が。なんと話題にしていた論文の著者である川島先生が、ご自身の日記で、このやりとり(主に読まずに批判する「almadaini」=僕に対するものだと思いますが)に苦言を呈しておられるようだ、とのことでした。
それは2006/07/26付で書かれていますが、川島先生の日記は形式上若干重いこともあり、その部分を引用させて頂きます。

昨今、『国境を越える歴史認識』に書いた論文に関する反応をいろいろ耳にする。
文章というのは読まれ方が難しい。特にウェブ上で切り貼りされたフレーズなどに反応しているものはもっと始末が悪い。たとえば、日本が中国を非文明国と看做しながら、自らを文明国と看做そうとした、という話については、「いや中国には数千年の古代文明があると…」という肩透かしのような疑問が出ている。ここで言っている「文明国標準」の問題と、古代文明とはまったく別のものということがすっとんでしまっている。本を読めばわかってもらえるのだが、…。また、海外への情報の発信の必要性についても、川島には英語の論文がそれほどあるわけではないではないか、というご意見もあるようだ。これについても、アメリカの大学で学位をとって、英語で論文を出しているから、対外発信しているということではない。この論文では、日本の歴史学界全体(むしろ日本史)が、日本国内でおこなわれている議論などを何かしらの方法で対外発信すべきだといっているのであって、それは検索に引っかかりやすいウェブサイトの構築でもいいし、海外学会でパネルを出すのでもいいし、いろいろな方法がある。もちろん、いくつかの書籍を英語やそのほかの言語で公刊するのでもいい。中国研究であれば、中国語もまた共通語なのだから、個人的には中国語で報告したり公刊するのでもいいし、中国や台湾の学会で勝負するのでもいい。いろいろな方法がある。こうした試みは既におこなわれてきているが、まだまだこれからである。

このような反応を受けて、sean97さんは2006/08/08付の日記でブログに書評を書くことと、それに対する反応をどう考えるべきかについて書かれています。
とまあここまでがことの経緯ですが、奇しくもこのサイトを見たその日に、注文していた本が届きましたので、それを読んだ上での僕の考えを書いてみたいと思います。
まず「発信競争」の話から。
13章・川島真「歴史対話と史料研究」の「3.対話可能性の拡大と新たな状況の出現」において、中国系研究者の影響力の増大を論じた後で、日本の研究者の対外発信力が低いことを指摘しています。
しかし、これに関して僕が付けたコメントに関しては、僕は全面的に非を認めます。そもそも川島先生は「発信競争」という言葉を使っていない上に、後段で、

筆者はここで対抗手段をとるべきだと日本の歴史学界に提言しているわけではない。だが、研究の対外発信を(適切に)しなければ、誤解や誤認を生じる可能性が高いということは述べたいと思う。単純な友好、非友好の先にある第三の路を構想しなければならない時期にきているのである。(P.360)

なにも反論はありません。それに関して付けたコメントは的外れで傲慢なものでした。反省しております。

そして「文明国」関連の話。
これは2章・川島真「関係緊密化と対立の原型−−日清戦争後から二十一カ条要求まで」の「はじめに」の部分(pp.29-31)で語られています。論文自体は副題にある期間の日中関係を、日中双方の歴史学界の視点からまとめ、この時期に「関係緊密化と対立の原型」があると論じたもので、非常に面白く読めました。
さて、まず問題の「文明国」に関わる部分を若干長めに引用してみたいと思います。

この近代化比較論は、後世の議論としてだけではなく、同時代的にも意味をもっていた。特に、日本が文明国化を達成しようとする際に、中国を非文明国と位置づけ、否定的な意味での比較対象としてきたこと、中国を否定することで自らを肯定したこと、それが近代日本の対中イメージ=「蔑視」形成へとつながることになったことは看過できない。これは、江戸時代以来の中国の文人文化への憧憬、古代中国への憧れの否定を伴ったわけではない。日本の独立性、自立性、文明国性を強調して同時代の中国を非文明国として否定しつつも、古代中国や中国文化には憧憬意識を持つというアンビバレントな中国観が日本で形成され、否定すべき伝統イメージを清朝中国に帰し、自らを近代として肯定するとともに、輝かしい古代文明としての伝統は肯定し、その主たる復原者としての面では清朝を継承者とせず、日本こそ継承し得ると自認する面があるのだ。
昨今の日本における対中意識の硬化は、この日本=文明国、中国=非文明国という意識的な対照が、中国の経済発展と国際社会における地位向上によって揺らいできているために、日本=文明国という図式の反面教師を喪失するかもしれないという、日本のアイデンティティ・クライシスとして説明できるであろう。他方、中国から見れば、日本との緊密な関係を前提とし、たとえば清朝最後の10年に多くの留学生が日本に来たと言っても、それは文明国化について日本を目標としつつも、日本そのものを学ぶのではなく、日本を通じて西洋を学ぶということであった。そして、日本が中国への侵略を開始し、強い蔑視意識を持つに至ると日本が警戒すべき対象として登場してくるのである。

なるほど、本文を読んでみると、「文明開化」の「文明」と「古代文明」の「文明」ははっきりと区別されていいます。読んでいないことで話がややこしくなってしまったことは明らかにこちらの落ち度でした。近代に関する文脈(引用の一段落目)に関しては、まったく問題は感じません。
疑問に思ったのはそれが現在の日本、日本における中国観、日中関係に投影できるとする「説明」です(引用の二段落目の冒頭)。川島先生の言うところの「日本のアイデンティテイ・クライシス」の中の「日本のアイデンティティ」が具体的にどのような人たちのアイデンティテイを指しているのかはこの文章からはわかりませんが、この問題に関して調査を行ったわけでもないので、とりあえず、僕個人の意識、あるいは同世代の意識に基づいて考えてみます(ですので、「おまえは特殊な事例だ。俺はそうは思ってない」という方はコメントいただけるとありがたいです。「まあ似たような感じかな」という場合も)。
僕個人の経験から言うと、僕は少なくとも実際に中国に行くまでは、いかなる意味でも「中国は文明的な国ではない」と思ったことはありませんでした(まあ正直に言うと、僕は中国に行っても「中国は非文明的な国だ」とは思いませんでしたが)。その背景には、戦後の日本において、当時の中国からの情報があまり入ってくることがなく、戦前の中国観も(少なくとも教育レベルでは)封印され、古典的な(古典の中に見られる)中国のイメージしか持っていなかったことがあると思います。
昨今の中国の経済発展が対中意識の硬化の原因になったという点には異論はありません。しかし、そこに至るまでの道筋が、僕が考えるものとは若干違います。上記のような古典的な中国イメージしか持っていなかった人は、中国の経済発展を知ったとき(あるいはそれが喧伝されたとき)に、ますます「文明国」としての中国イメージを進化させて、「古典的文明に加えて先進的な文明を併せ持つ中国」というイメージをふくらませたように思います。その過剰にふくらんだイメージの反動が今の対中意識の硬化ではないかと思います。中国経済の自由化が始まってずいぶんと経ち、その実際のところの情報が、長所短所、良い面悪い面ともに、日本にも大量に入ってくるようになりました。古典的な中国イメージを基礎にさらに上積みを施されたイメージを持っていた人たちは、例えば実際に中国に行ったとき、中国で働いたときに、そのギャップを大きく感じたのではないでしょうか。僕はそういうところに対中意識の硬化の因果関係を見ています。
上でも述べたように、これはあくまで僕の認識ですが、おそらく中国に対する認識にはかなりの世代差があるように思います。僕としてはそういう、「対中認識がいかに変化したか」に関する包括的な統計調査が行われれば面白いなあと思います(僕が考えつくようなことはだいたい他の誰かがもう考えていると思うので、既に行われている可能性も十分ありますし、ことによるとこの本の別の論文で引用されている怖れすらあります。ですのでこれは単純に感想です)。
僕は近現代中国の専門家ではありませんし、この問題について川島先生と一騎打ちなどという恐ろしいことをするつもりは毛頭ありません。sean97さんとはリアルで知り合いであるということもあり、(雑談をするような気分で)かなり表現がぞんざいだった部分もありました。上でも書いたように著者が目にする可能性などにはまったく想いが至っていませんでした。今後は気を付けようと思っています。
まあしばらくはどこかにコメントを付けることもしないと思います。ブログと書評とそれに対するコメント(本を読まないで)については、また少し落ち着いたらなにか書きたいなと思ってはいますが。