劉傑、楊大慶、三谷博(編)『国境を越える歴史認識−−日中対話の試み』東京大学出版社、2006(ISBN:4130230530)−その1

とりあえず頭から読んでいます。
まず「はしがき」から。

その中で、日本の戦後世代の間に確立した重要な歴史観は「1945年の視点」とでも言えるものであった。すなわち、1945年を境目に日本には根本的な変化が生じたという見方である。終戦からの60年間、日本は民主主義の平和国家を建設し、戦争のない時代を謳歌してきた。1945年以前の日本への逆戻りは最早考えられない。これが多数の国民に共通した認識であると言ってよい。したがって、侵略行為を行った戦前の日本と現代の日本とを結びつけて語ることは、戦後生まれの人々にとってなじみ難いことのようである。戦後世代の日本人の多くは、現在の日本社会で起こっているさまざまな現象を考えるとき、自然に「1945年の視点」を用い、したがって、1945年という明確な境界線を越えて戦前と対話する必然性は感じられないのである。
これに対し、「建設」(近代化)と「統一」(統一国家の形成)という辛亥革命以来の二大目標を未だ実現していない中国にとって、現代を見つめるときの視点は「1911年の視点」と言ってよい。帝政を倒した辛亥革命のあと孫文及びその後継者らが進めた国民革命やブルジョア民主主義革命、ならびに毛沢東の新民主主義革命、社会主義革命を経て、中国社会に大きな変化が起こったが、「建設」と「統一」の目標は未完成である。しかもこの目標を目指す中国近代のなかで、最大の障害は日本による中国侵略であったと認識されている。現代社会を理解するにあたって、1945年の太平洋戦争の終戦は日本人にとって決定的な意味を持つが、近代化と統一を目指す中国の視点は近代国家の出発点となった1911年を自然に意識している。このように両国の戦後世代の視点の違いが両国の歴史をめぐる対話を難しくしていることは否定できない。
他方、日本民族の優越性と日本歴史の完全無瑕を主張する歴史認識は、1945年からさかのぼって戦前と戦後の日本史の連続性を強調する。欧米列強によるアジア侵略を非難することによって、日本の対中国侵略と対朝鮮植民地支配を相対化する一方、アジア諸国への加害の歴史を指摘する歴史観を「自虐史観」として排斥する。戦前と戦後の連続性を強調する点で中国の「1911年の視点」と共通点を有するが、価値判断が正反対なため、両国の歴史認識の対立を顕在化させた。このような民族主義的な歴史認識が教科書問題の形で表面化したことは、中国と韓国の警戒を招き、首相による靖国神社参拝問題とともに、日中政治関係の悪化と国民感情の対立を惹き起こした。この対立の中で、多くの戦後世代が共有している「1945年の視点」も、この「連続の視点」に吸収され、国民感情の対立を増幅させた。(P.ii-iii)

中国近現代の研究者にとっては自明のことなのかもしれませんが、「歴史の基点をどこに置くか」はやはり重要な問題です。これは中東問題にもあてはまる問題でしょう。例えばエジプトでは「戦争」と言えば、概ね第二次世界大戦ではなく中東戦争を指しますし、直近の歴史の基点は第二次世界大戦の終了ではなく、エジプト革命(1952年)と考えられています。この区分は当然といえば当然なのですが、どうしても自国の時代区分に引きずられる部分もあり、ある程度自覚的に意識しなければならない問題なのだと思います。
ただ、「この対立の中で、多くの戦後世代が共有している「1945年の視点」も、この「連続の視点」に吸収され、国民感情の対立を増幅させた」という点についてはやや疑問があります。少なくとも現段階では、「吸収された」ところまでは行ってないと思うのですが。

次に1章・茂木敏夫「日中関係史の語り方−−19世紀後半」では、後世において「守旧/開化、伝統/近代、抵抗/侵略」という文脈で語られがちである日中関係史の認識を、日清戦争以前の当事者意識を検証することによって再検討した論文です。
で、本筋とはそれほど関係ないところなのですが、僕が興味を持ったのは以下の部分。

そして、近代を根拠として日本の優位を確保しようとする構想は、1884年夏、清仏戦争勃発以降、ますます明瞭になっていく。自由民権運動の指導者でもあった杉田定一は、清仏戦争時に中国を旅行した見聞にもとづき、「論者或ハ云フ、支那唇歯輔車ノ国ナリ、宜シク親シムベシ、敵視スベカラズト。是レ其ノ一ヲ知リテ、ニヲ知ラザル者ナリ。論者ノ云フ如ク、其ノ地形ハ、唇歯輔車タルモ、其ノ人類ハ、頑迷固陋ニシテ、文明国ノ悪ム所ニシテ、固ヨリ親シムベカラザル者ナリ」と、日清友好論を批判している。文明、開化の日本と頑迷、守旧の中国という図式が成立しつつあったことが看取できる。(後略、p.21)

僕はこの杉田定一の話に、現在の日本における中国批判と同じ論調を感じました。特に、「其ノ人類ハ、頑迷固陋ニシテ、文明国ノ悪ム所ニシテ、固ヨリ親シムベカラザル者ナリ」というのは、某掲示板などでもよく見られる論調でしょう。そういう意味で、当時形成されつつあった図式と、現在形成されつつある図式は、かなり似たものだと思います。
ただ、ここで僕が注目しているのは彼が「清仏戦争時に中国を旅行した見聞にもとづ」いてこう述べていることです。もちろん、だから正しいと言いたいわけではありません。むしろ、ここには日本人のナイーヴさが窺えるように思います。自らとも模範である「文明国」とも異なる価値観に暮らす人々を実際に見たときに、これを否定してしまうのは、やはり多様な文化・価値観に日常的に触れる機会が少ないからではないかと思います。
そのような観点から、僕は現在の対中意識の硬化は、「戦前から受け継がれたものが再び現れた」のではなくて「戦前に行われたことが再び繰り返されている」過程なのではないかと考えるわけです。江戸時代の鎖国中華人民共和国との交流の稀薄さが解消され、それまでよりもはるかに多くの人が実際に行き来するようになったときに、このような論調が生まれてくるのではないかとという推論です。もちろん対中強硬派のすべての人が実際に中国に行ったわけではないでしょう。しかしおそらく行ったことのない人でも、そのきっかけは実際に行って見聞した人からの話を聞いて、ということだったのではないでしょうか。
要するに僕は、中国の開放、経済発展によって、日本人は中国の「非文明性」を「再発見」したのではないかと考えている、ということです。まあそういう意味では、中韓が日本の「右傾化」を危惧・警戒するのは当然のことだと思います(その対策が適切かどうかはともかく)。その中で日本では「1945年の視点」でも戦前を全面的に肯定する「連続の視点」でもない視点が求められることが必要だと思いますし、この本はそういう意味でも非常に重要な本だと思います。
まあまた素人なのに(あるいは素人ゆえに)偉そうなことを書いてしまいましたが、一読者の感想ということで、間違いがあったら指摘していただけると幸いです。