ゲルト・アルホルフ著、柳井尚子訳『中世人と権力--「国家なき時代」のルールと駆け引き』(八坂書房、2004年)

中世ヨーロッパの支配層の中でどのような形で問題解決が行われていたかを実例をふんだんに見ながら紹介/分析した本。原著は1998年。
プロローグより。

中世における支配権の特徴を理解することは、近・現代の支配形態との違いを意識することでもある。この前提すら過去の中世研究はしばしば顧慮しなかったから、まさにこの点に新しい中世理解の一つの重要な糸口がある。それゆえ以下の章のライトモティーフは、支配権と国家制度について現代的形態との相違点を明確にすることである/中世においては国家的構造と呼べるものはごくゆるやかにしか形成されず、近代的国家やその本質的特徴とは無縁の世界だった。したがって中世の諸事情を正しく評価しようとするなら、近代的国家に固有の特徴にとらわれてしまいがちなわれわれの先入観の多くを、一旦捨ててかかる必要があるだろう。(pp.15-16)

そこが具体的に第一章で例示されている。

1 軍事力の独占はまだない--中世社会における争いの解決
2 三権分立はまだない--中世の支配秩序における裁判所の役割
3 国家はまだない--中世における政治の基礎をなす「功績と報酬」「助言と調停」のシステム

イスラーム世界で考えてみると、軍事力の独占は明らかにない。三権分立はないが、裁判所の役割にはイスラーム法を体現するウラマー層が関わってくるので、話は単純ではない。そもそもイスラーム世界での「立法」もまったくヨーロッパ世界とは様相が異なるので、アプローチの仕方は難しいだろう。
「国家」の定義も難しいが、ここでは整備された官僚的システムのことを指しているようである。

中世の国王や諸侯の宮廷は、近代的国家の官庁と比較しうるような性質のものではなかった。もちろんどの宮廷にもそれなりの官職はあったが、役人の資格や権利や義務が明確に定められてはいなかったし、地位や身分にかかわらずすべての人間を平等に扱う義務を負わされてもいなかった。むしろ実際に政治を動かしていたのは「功績と報酬」「奉仕と見返り」に基づくわかりにくいシステムで、そこでは金品もしくは目に見えない利益のやりとりが決定的な役割を果たしていた。(p.65)

ここまで抽象化されるとイスラーム世界にも妥当するような気もするが、その具体的なあり方は当然違うものとしてあらわれるのだろう。