「科学」としての歴史学

「科学」としての歴史学、というものを考えると、

ある基準以上に信頼できると考えられるデータ群に適合するモデルを構築すること

あたりに落ち着くのではないだろうか(歴史学だけではないが)。
もうひとつ

データレベルでの再現可能性(検証可能性)

も必要かもしれない。
僕が人類学などのフィールドワークでいつも不思議に思うのは、聞き取りの内容を録音したものをデータとする例が多くないように思えること。文字史料や考古資料は(原則として)誰でも「現物」に立ち戻ることができるが、一回性の口述では録音しない限り再現性が保証されないように思うのだが。最近はネットが発達したのでウェブ上で録音を共有するようなことも行われているのかもしれないが、やはり問題はプライバシーだろうか。
もちろん「テクストを読むという行為がその都度テクストを生成する」というような立場を取れば史料の再現性も破壊されるかもしれないが、やはり一段階レベルが違うように思う。