羽田正『東インド会社とアジアの海』(興亡の世界史15、講談社、2007年)

ポルトガル人のインド洋への進出の理由として真っ先にあげられるのが、胡椒や香辛料の獲得である。ヨーロッパの人々は、食肉の保存と保存の悪い食肉の味付けのために胡椒や香辛料を必要としていたというのである。しかし、最近翻訳の出た『食の歴史』の編者であるフランドラン氏は、この通説を「とうてい認められない」と切って捨てる。その理由として、第一に肉と魚の保存剤は塩、酢、植物油が基本だったこと、第二に肉は現在よりもずっと新鮮なうちに食べられていたこと、第三に保存肉、腐肉を食べるのは香辛料の消費者である貴族や金持ちではなく下層の人々だっただろうこと、そして第四に塩漬け肉は一般にマスタード味で食べられたことをあげている。
(中略)
では、ポルトガル人をはじめ北西ヨーロッパの人々は、なぜ争って東方の香辛料を求めようとしたのだろう。フランドラン氏は、それは香辛料がなによりもまず医薬品と考えられていたからだという。
(中略)
十六、十七世紀頃のヨーロッパの人々が、依然として古代以来の伝統的医学知の支配する世界に生きていた点も見逃してはならない。この伝統知によれば、人間の身体は、乾と湿、熱と寒という対立する二組、四種類の要素によって成り立っていた。(中略)いずれにせよ、人が健康であるためには、四つの要素のバランスが取れている必要があった。そのために、自分の体質の特性とは逆の特性を持った食物を取ることが重要だと考えられた。
(中略)
そこで香辛料が登場する。香辛料のほとんどすべては熱と乾の性質を持っているとみなされたので、それらを加えれば、食物は温められ、消化がよくなると考えられたのだ。もちろん、香辛料を加えることによって、味がよくなることも重視されてはいた。しかし、当時、とりわけ上流階級の人々の食事については、四つの要素のバランスを抜きにした料理は考えられなかった。胡椒や香辛料が医薬品として重要で、薬膳料理に欠かせないものだったとするこのフランドラン説は、説得力があり大変魅力的だと思う。少なくとも、「胡椒や香辛料の輸入は、肉の保存や味付けのため」という通説は、そんなに単純に信用できないようだ。
(pp. 251-252)

結構驚いたので。全面的に受け入れられているかはわからないが、筆者のいう通り説得的ではある。
この本はなかなか名著だと思っていますので本全体の感想もそのうち書きます。