井野瀬久美恵『大英帝国という経験』(講談社、興亡の世界史16、2007年)

それゆえに、アメリカ喪失の経験は、帝国という空間統治についていくつかの教訓を残すことになった。第一に、「イギリス人」としての共感を植民地に求めないこと。第二に、ウェストミンスタ議会を核とする枠組みに植民地を組み込むことは賢明ではないということ。そして、第三に、アメリカ喪失は、本国が植民地を抑圧した結果ではなく、むしろその逆、植民地に勝手な統治を許してきた「有益なる怠慢」の顛末だったこと。この三つ目の教訓から、イギリスは、アメリカ独立を承認したパリ条約締結の翌一七八四年にはインド統治法、九一年にはカナダ統治法を、そして一八〇〇年にはアイルランド合同法を成立させて、帝国への介入姿勢を示したのである。
イギリス議会の権限を拡大させず、植民地に直接課税を求めず、しかもしっかり介入する――そのためにイギリスが編み出した統治方法が、できるかぎり領域支配を抑える非公式の支配、すなわち「自由貿易の帝国」であり、それは、資本投下や技術移転などをつうじて南米や中国などで実行されることになる。そしてもうひとつが、アジアやアフリカで展開される、現地社会にできるかぎり手をつけない間接統治だ。いうなれば、アメリカ喪失の経験は、帝国の中心が周縁を支配するには限界があることを教えたのだった。
(p. 56)

大英帝国の変質のメルクマールとしてのアメリカ喪失」という理解。拡大が必然的に変質を伴うと考えるといろいろ考えが広がる。