イランひっくり返るかも(6/16 2:51現在/日本時間)
今現在、大統領選挙の不正疑惑を巡って大規模なデモがテヘランを中心に、イラン各地で行われているようです。BBCを初めとするメディアも報道してはいますが、イラン政府による外国メディアの規制にかかって思うような報道はできておらず、Twitterでの現地からの情報が最も速いという状況です。
テヘランでのデモ参加者は百万人ともいわれており、既にバスィージュと言われる正規軍ではないけれども政府側の武装組織によって、デモに参加した人々に対する発砲があって、少なくとも一名、おそらくはより多数の死者が出ているようです。
参考写真:http://www.boston.com/bigpicture/2009/06/irans_disputed_election.html
アラン・ソーカル&ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞:ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店、2000)
読了。読んで良かったと思える一冊でした。数学や物理学の概念がいかに「ポストモダン」思想の中で、意味のない形で使われているかを例示したもので、主に取り上げられているのは、ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ガダリ、ヴィリリオ。読んだことのない人も多いのですが、正直ラカンは馬鹿げていると思ってましたし、ボードリヤルはまったく理解できなかったので、ある意味とても助かりました。
また、「第一の間奏:科学哲学における認識的相対主義」では懐疑論から始まって、トーマス・クーンのパラダイム論について述べているのですが、相対主義に陥ってソリッドな実証を捨てることに対する批判が主となっています。これは相対主義やクーンの所論を完全に否定するものではないと思いますが、合理性に対する信頼というものが基礎になっているものだと感じました。この辺はバランスの問題だと僕は考えていますので、良い叩き台になりそうな議論ではあります。
余談ですが、ソーカルとブリクモンは、一応歴史学を実証に支えられたそれなりに合理的な学問だと考えてくれているようです。正直な感想は「助かる」でした。まあかなりそういうところに気を配って慎重に書いている感じでしたので、ある種のリップサービスかなとも思いますが。
聴いているポッドキャスト
iPod導入直後はいろいろ聴いていましたが、自然と収斂されてきました。
BBC 4: Best of Today
初めはNews Podを聴いていたが、長すぎてなかなか全部聴けないのでこちらに移行。イギリスローカルの話題も多いが、一応標準ということで。Stuff You Should Know
"How Propaganda Works"とか"How much money do I really need to live?"とか"How long can you go without food and water?"とかそういうテーマについて20分強くらいで語るというもの。英語はやや聞き取りにくいが、題材は面白いので。Al Jazeera - Sharia Wa Alhaya
イスラーム法と日々の生活の接することごとについて、偉いおじいさんが教えてくれるアラビア語の番組。平均50分弱と結構長い。Aktahr Min Rai - Al Jazeera
こちらは比較的時事ネタを扱うもの。アラビア語。こちらも50分弱。この二つはもともとテレビ番組で、映像のものもある。
CNN Student Newsもかなり良いのですが、映像を見なくてはならないので、移動中には向かないということで、現在は見てません。
浜田寿美男『自白の心理学』(岩波新書新赤721、2001)
読了。無実の罪でとらわれた人たちが、いかにして虚偽の自白を行うに至るかを描いた一冊。自白調書を心理学的な観点から読み込むことによって、「自白の変遷」や「無知の暴露」を手がかりに冤罪を晴らそうという試みが記されている。
こいつが犯人にちがいないとの断固たる確信のもとに取調べが進行するとき、そこには被疑者を強く有罪方向へと引き寄せる磁場が渦巻いている。それに逆らうことがどれほど困難なことか。そこでは弱い人だけが落ちるのではない。うその自白をとるのに直接的な拷問はいらない。その磁場そのものにひたすら長くとどめるだけで、まずたいていの人は自白に落ちる。それこそが、むしろ心理学的に自然な人間の姿だといったほうがよい。誰もがそうした弱さを抱えているのである。(p. 105)
裁判員制度導入の時代には必読の一冊だと思う。
羽田正『東インド会社とアジアの海』(興亡の世界史15、講談社、2007年)
ポルトガル人のインド洋への進出の理由として真っ先にあげられるのが、胡椒や香辛料の獲得である。ヨーロッパの人々は、食肉の保存と保存の悪い食肉の味付けのために胡椒や香辛料を必要としていたというのである。しかし、最近翻訳の出た『食の歴史』の編者であるフランドラン氏は、この通説を「とうてい認められない」と切って捨てる。その理由として、第一に肉と魚の保存剤は塩、酢、植物油が基本だったこと、第二に肉は現在よりもずっと新鮮なうちに食べられていたこと、第三に保存肉、腐肉を食べるのは香辛料の消費者である貴族や金持ちではなく下層の人々だっただろうこと、そして第四に塩漬け肉は一般にマスタード味で食べられたことをあげている。
(中略)
では、ポルトガル人をはじめ北西ヨーロッパの人々は、なぜ争って東方の香辛料を求めようとしたのだろう。フランドラン氏は、それは香辛料がなによりもまず医薬品と考えられていたからだという。
(中略)
十六、十七世紀頃のヨーロッパの人々が、依然として古代以来の伝統的医学知の支配する世界に生きていた点も見逃してはならない。この伝統知によれば、人間の身体は、乾と湿、熱と寒という対立する二組、四種類の要素によって成り立っていた。(中略)いずれにせよ、人が健康であるためには、四つの要素のバランスが取れている必要があった。そのために、自分の体質の特性とは逆の特性を持った食物を取ることが重要だと考えられた。
(中略)
そこで香辛料が登場する。香辛料のほとんどすべては熱と乾の性質を持っているとみなされたので、それらを加えれば、食物は温められ、消化がよくなると考えられたのだ。もちろん、香辛料を加えることによって、味がよくなることも重視されてはいた。しかし、当時、とりわけ上流階級の人々の食事については、四つの要素のバランスを抜きにした料理は考えられなかった。胡椒や香辛料が医薬品として重要で、薬膳料理に欠かせないものだったとするこのフランドラン説は、説得力があり大変魅力的だと思う。少なくとも、「胡椒や香辛料の輸入は、肉の保存や味付けのため」という通説は、そんなに単純に信用できないようだ。
(pp. 251-252)
結構驚いたので。全面的に受け入れられているかはわからないが、筆者のいう通り説得的ではある。
この本はなかなか名著だと思っていますので本全体の感想もそのうち書きます。