本山美彦『金融権力――グローバル経済とリスク・ビジネス』(岩波新書・新赤1123、2008年)

読了。現代の金融/投資構造を痛烈に批判した本。この本一冊ではどこまで信用できるかはわからないが、非常に腑に落ちる内容であったことは確か。
もともとはサブプライム・ローンの問題がどういう話なのか、を知りたかったので読んでみたのだが、それ以上に僕の主要な研究テーマの一つであるらしい「貨幣」について考えるヒントを得ることができたように思う。pp.101-103あたりの先物取り引きと堂島米会所の話をどう捉えるかという話も面白かったし、理論で現実を見るのではなくて、歴史的分析を重視する視点も、歴史学研究者の観点からするときわめて真っ当なものに見える。
また全然知らなかったことなのだが、「ノーベル経済学賞」は本来のノーベル賞とは別のものだということを知れたのは良かった(pp.135-142)。
そこで紹介されている、科学者による「経済学」評。

「意味合い、価値、摩擦、等々の次元が、現実の社会には究極的に重要である。この次元のものを含めない社会組織論は、いかなるものであれ、不十分である。残念ながら、今日の経済学の理論モデルのほとんどにこのことが当てはまる」(システム論、物理学者、オーストリアのベストセラー作家、フリツォフ・カプラ)
「経済学賞は、社会科学のすべての視野を含むようなものに拡大されるべきである。数学のフィールズ賞のような次元のものとは正反対のノーベル賞になるべきである」(数学者・カオス理論、カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校、ラルフ・アブラハム教授)
「経済学は悪しき科学である上に、基礎的な過程の多くが正しくない」(マックスプランク物理学研究所、ハンス・ピーター・ドゥール教授)
(p. 140)

三つ目の「基礎的な過程」は「仮定」の誤変換ではないかと思うが、それはともかく、おおむねこれらの意見には賛同できる。
関係あるようなないような話だが、個人的には歴史学の究極目標は「過去から教訓を得ること」や「過去に何があったか明らかにすること」ではなくて「人類の未来を予測すること」にあると考えている。しかし人間社会はあまりにも複雑に過ぎるため、この段階にはまったく到達できていない。天才的なひらめきを持った人物が偶然にある歴史的流れを言い当てられることがある、というレベルに留まっている。経済に関しても一段階違うがオーダーとしてはそれほど変わらないだろう。その複雑なものをあまりにも単純なモデルで描こうとしているのが現在の経済学の拙速であると僕は考えている。
 まあそれほど現代の経済学の最先端に詳しいわけではないので、感動するような素晴らしい経済学的研究が僕の知らないところで生み出されているのかもしれないが。